あの人の生誕地かもしれない説(諸説あり)

あの人の生誕地かもしれない説(諸説あり)

2018/06/07

上石津といえば、歴史好きにはたまらない場所です。関ヶ原の合戦で敵中突破した島津隊の退き口として有名で、歴史上屈指のイケメン(だったらしい)・島津豊久の墓など、島津家ゆかりの地が点在します。
島津家情報は、多良地区にある「大垣市上石津郷土資料館」に充実しているのでぜひ立ち寄っていただきたいのですが…

その資料館に、目を疑う驚きの展示があるのはご存知でしょうか。
ななんと!あの超有名人「明智光秀」の生誕の地が、ここ上石津町多良地区だというのです!
なんでも知りたガール、もとい、知りたオバハンの私、そんな噂を聞きつけ、さっそく資料館へゴー。
島津塚も近く、パワースポットとしてもファンが多い大神神社もそばにある資料館の一帯は、その昔、多羅城があった場所だとか。なにやら特別な場所のような気がしてきます。
館内を案内してくださったのは、以前移住ツアーでもお世話になったTさん。音楽好きで、私の夫とドラム談義で盛り上がる、ポップなお方です。
資料館によると、明智光秀は、織田信長の家来として頭角を現した40歳を過ぎてからはあまりにも有名ですが、それ以前が謎らしい。どこで生まれ、誰の子なのかさえも定かではないそうですが、2つの手がかりがその謎に迫ります。
まず一つが江戸時代の学者、塙保己一(はなわほきいち)の著書「続群書類従」内の「明智系図」で、そこには【光秀は明智光隆と妻との間に生まれ、その出生地は美濃多羅城であった】と書かれています。
もう一つの、東京大学編著の「大日本史料」内の「明智氏一族宮城家相伝系図書」の記載には、【父は進士信周で母は明智光隆の妹。生誕の地は石津郡多羅である】とあります。子がなかった明智光隆に、妹が次男である光秀を養子として渡した、ということらしいのです。
こ、これは!かなりの信ぴょう性ではありませんか。この資料を見つけた人エラい!!

とはいえ、我こそは生誕地、という場所は、上石津を入れて岐阜県に4箇所あるそうで(笑)。「諸説あり」というアソビの部分こそ、あれこれ色々な説を楽しめる、歴史のロマンそのものなのかもしれません。
「明智光秀の生誕の地かもしれない説」を知ってしまった以上、光秀を描く2020年のNHK大河ドラマが今から楽しみすぎます!

みなさま、ぜひ「生誕地かもしれない」上石津へおこしやす♡