パンフレットより
「明智光秀は、40歳を過ぎ、織田信長の家来となって
頭角を現してから初めて歴史の表舞台にその名を残します。
前半生の姿が全くと言っていいほど解明されておらず、
どこで生まれ誰の子なのかも定まっていません。
美濃の守護・土岐氏一族の出身とするものが
通説となるも、生誕地については諸説あります。
ここ、大垣市上石津町多良地区に
かつて存在したとされる多羅(良)城も、
生誕の地のひとつに考えられています。」
上石津まちづくり協議会では、まちおこしのひとつとして、「明智光秀生誕の地 多羅城」のパンフレットを製作しました。
ご希望の方は、大垣市上石津地域事務所地域政策課(0584-45-3113)まで、お問い合わせください。